平成30年を振り返って・・・・・
平成30年の出来事をまとめてみました。お読みいただきたいと思います。
★ ★ ★ ★ ★
1月21日(日) 長島潤弾き語りコンサート
記念館でのコンサートをご希望下さいました、長島 潤様のコンサートが開催され、facebookのお友達や友人がご参加下さり、美しい歌声と優しいメロディー、楽しいトークであっという間に時間が流れてしまいました。
2月4日(金) 藍峯舎より刊行 江戸川乱歩・竹中英太郎「完本 陰獣」
英太郎の出世作となりました、「新青年」連載時の挿絵から画業の総決算として描下ろした「大江春泥作品画譜」まで、「陰獣」にまつわる挿絵全点を初めてカップリング。乱歩と英太郎の究極のコラボレーションを集大成した豪華版
2月13日(火) 2月10日、小学校恩師・堤弘文先生ご逝去
平成28年5月29日、30日と小学校の年一回の旅行を実施、 恩師の体調を考え、県内旅行となりましたが、恩師、生徒11名計12名が参加し素晴らしい思い出づくりが出来ましたが、恩師との最後の旅行になりました。お写真は、身延町クラフトパークでのツーショットです。
3月5日(月) 旅行読売平成30年4月号
上原義広の「歩く旅」に記念館が掲載されました。
平成30年2月3日にルポライター・上原義広様がご取材下さいました。

3月14日(水) 山梨県立文学館
平成30年春の常設展「竹中英太郎と労」3月13日(火)から6月3日(日)まで開催され,初めて父子の作品が展示されました。

3月26日(月) 神戸新聞
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が掲載されました。

3月28日(水) (株)ニュースコム発行マチコレ4月号
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」& 記念館紹介記事が掲載されました。
3月29日(木) 朝日新聞マリオン
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が 掲載されました。
3月31日(土) みんなのタウン紙・「かわせみ」の伝言板
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が掲載されました。
4月3日(火) 山梨新報社
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が 掲載されました。
4月6日(金) 朝日新聞朝刊第二山梨版、やまなしこの一冊欄
春光堂店主・みやがわ・だいすけ様が、竹中労著「決定版 ルポライター事始め」をお選び下さいました。また、4月8日のイベントのご案内もご紹介下さいました。

4月8日(土) 山梨県立文学館
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・労父子を偲ぶトークのつどい」開催
4月9日(日) 同上 ( ←クリックされてご覧下さい。)
5月20日(日) 週刊文春 5月24日号
平成28年10月15日(土)桜座(山梨県甲府市)で開催致しました”竹中労没後25年 今ふたたび「戒厳令の夜」特別上映会と労を偲ぶトークのつどい” にサプライズゲストで出演して下さいました時のことをお書きくださいました。
5月25日(金) 週刊金曜日 5月25日発売
シリーズ沖縄「琉球狐の魂伝える・島唄のいま」として、大工哲弘氏、藤田 正氏、大城美佐子様方が、それぞれの思いを語っておられます。オフノート・神谷一義氏は、労さんの事を「風のアナキスト竹中労と沖縄島唄」と題してお書き下さいました。
5月26日(土 )週刊文春 5月24日号、5月31日号
平成28年10月15日(土)に桜座(山梨県甲府市)で開催致しました”竹中労没後25年 今ふたたび「戒厳令の夜」特別上映会と労を偲ぶトークのつどい” 、5月31日号で平成30年4月8日(土)に山梨県立文学館で開催致しました”竹中英太郎没後30年「竹中英太郎と竹中労父子を偲ぶトークのつどい”のゲスト出演して下さいました時の事をお書き下さいました。
6月4日(月) 月刊フラワーズ 7月号「グレさんぽ」
漫画家・イラストレーターのグレゴリ青山様が、横溝正史氏の「鬼火」にまつわる話題をお書きなられ、その中で、英太郎の挿絵のことについて触れられておりました。グレゴリ青山様のイラストの挿絵です。
7月17日(火) スタイルアサヒ 7月号
水道橋博士様が、労著「ルポライター事始め」を読み、ルポライター になりた かったとお書き下さいました。
故・樹木希林様の記事につきましては、館長日記全文を削除せず掲載いたしました。
9月8日(土)七面山で祈願を・・・・・
お世話になりました大切な方々のご病気の回復祈願の為七面山に行って参ります。登頂は体力的に難しいため宿坊での祈願になると思います。
樹木希林様とは、御山へご一緒させていただくはずでしたが、今、病と一生懸命闘っておられます。御山への修行不参加を決められましたが、その悲しく残念でたまらないお気持ちが痛いほど伝わって、本当におかわいそうに思います。
9月11日(月) 9月8日から10日まで臨時休館をいたします。
希心会黒川支部・320名の一人として七面山祈願参拝に参加させていただきました。
今回は、台風21号により、七面山表参道41丁目(頂上は50丁目)で大規模な土砂崩落があり、23丁目までの登詣になりました。
特別な思いがあり頑張って23丁目までと思いましたが、前日から脇腹とお腹の痛みが当日になりましてもおさまらず、登詣はあきらめ宿坊での祈願になりました。
経巻供養・説法会が各坊であり、一生懸命祈願させていただきました。
K.K様のご家族の方々や関係者の皆様も回復祈願をされていらっしゃいました。
9月16日(日)樹木希林様ご逝去(9月15日)
永年に渡ってお世話になっておりました、女優・樹木希林様のご逝去の報に接し今は茫然自失になっております。
今日は、気持ちの整理がつきません。ただ希林様には”感謝”の言葉しか今はありません。
8月13日左大腿骨を骨折され、15日に緊急手術を受けられました。
一時危篤状態にありましたが、容体も落ちつかれたとお聞きし致しましたので、少し安心しておりました。ただ、8日〜10日までご一緒させていただきますはずの、身延七面山への登詣に不参加との事をお聞きし、ご容体が気になっておりましたが、、、
9月14日、入院先の病院からご自宅に戻られ、15日午前2時45分にご家族の皆様に見守られ、眠る様に旅立たれたそうです。
明日、荼毘にふされますが内輪でとの事、直接お顔を拝見してお別れのご挨拶をしたかったのですが、30日の告別式まで甲府の空より静かにご冥福をお祈りさせていただこうと思います。
9月17日(月)今日の午後、樹木希林様は荼毘に・・・
もうお骨になってご自宅にお帰りになられた事と思います。
「ぶどうを口に含んで”美味しいね”と、うれしそうな顔をしていました。」と浅田美代子様のコメントをお聞きし、
もしかしたら私がお送りしました、南アルプス産のお葡萄ではないかと、、、。この葡萄は昨年お送りしました時、”あのぶどうは美味しかったわよ”と珍しくおっしゃって下さいましたので、今年もお送りさせていただきました。
お口
にしていただけましたのなら本当に嬉しく思います。
9月17日(月)
山梨日日新聞に故・樹木希林様の記事の中で労さんの事も触れられておりました。
9月25(火)希林様からの開館お祝いのはがきを・・・・
平成16年4月10日に、湯村の杜 竹中英太郎記念館を開館致しましたが、その際、樹木希林様からお祝いのお葉書をいただきました。
ある時期に記念館に展示させていただこうと思い、あちらこちらをいくら探しましても見つかりませんでした。
不思議なことに、希林様がご逝去されましてから間もなくアルバムの中から見つかりました。本当に懐かしく改めて感謝の気持ちで一杯になりました。
9月30日(日)樹木希林様の葬儀に参列して・・・・・・
涙雨のような霧雨が降る中で、故・樹木希林様を偲ぶがごとく本葬が営まれました。フアンの方々が大勢いらっしゃる中、業界関係者の列に並ばせていただきました。10時の開式と、読経が始まりました頃には、不思議と雨も止み、本堂にいらっしゃいますお身内の方々に続き、一般の方々は外からのご焼香になりました。
祭壇には、楚々とした白菊基調に波のようにうねったいただきに、美しい喪服姿の遺影が皆様を迎えるかのように飾られておりました。
悲しいことにお顔を拝見してのお別れは出来ませんでしたが、遺影に向かい、ご縁をいただきました事の感謝と、沢山の思い出に、心よりお礼を申しあげて参りました。また、落ち着きましたらお宅へお伺いさせていただこうと思います。
10月14日(日)第2回長島潤弾き語りコンサート
facebookのお友達、東京の外山恭一ご夫妻様、記念館のお客様、主宰友人、館長友人がご参加下さいました。素敵なギターの音色、歌声に記念館がつつまれました。
10月15日(月)樹木希林様月命日にお葉書を
9月15日にご逝去されました、樹木希林様の月命日です。未だに信じがたい気持ちでおります。 先日、思いがけずご遺族の方からお葉書を頂戴いたしました。
希林様が最後に口にされた葡萄は、私がお送りした葡萄であった事がわかり、お顔を思い浮かべながら涙が止まりませんでした。
月命日、希林様を心から偲びたいと思います。
11月2日(金)田舎暮らしの本 2018年12月号
甲府湯村温泉・湯村ホテルの専務・山本重光様のご紹介で、宝島社様が記念館をご取材して下さいました。「移住者リポート01 山梨県甲府市」で、カリフォルニアから、甲府市へ移住されました中村安史・京子ご夫妻様の暮らしぶりがご紹介されております。

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記念館でのコンサートをご希望下さいました、長島 潤様のコンサートが開催され、facebookのお友達や友人がご参加下さり、美しい歌声と優しいメロディー、楽しいトークであっという間に時間が流れてしまいました。

英太郎の出世作となりました、「新青年」連載時の挿絵から画業の総決算として描下ろした「大江春泥作品画譜」まで、「陰獣」にまつわる挿絵全点を初めてカップリング。乱歩と英太郎の究極のコラボレーションを集大成した豪華版

平成28年5月29日、30日と小学校の年一回の旅行を実施、 恩師の体調を考え、県内旅行となりましたが、恩師、生徒11名計12名が参加し素晴らしい思い出づくりが出来ましたが、恩師との最後の旅行になりました。お写真は、身延町クラフトパークでのツーショットです。

上原義広の「歩く旅」に記念館が掲載されました。
平成30年2月3日にルポライター・上原義広様がご取材下さいました。

3月14日(水) 山梨県立文学館
平成30年春の常設展「竹中英太郎と労」3月13日(火)から6月3日(日)まで開催され,初めて父子の作品が展示されました。

3月26日(月) 神戸新聞
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が掲載されました。

3月28日(水) (株)ニュースコム発行マチコレ4月号
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」& 記念館紹介記事が掲載されました。

竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が 掲載されました。

竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が掲載されました。

竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・竹中労父子を偲ぶトークのつどい」が 掲載されました。
![朝日新聞やまなしこの一冊 img12809_image[1].jpg](https://takenaka-kinenkan.jp/diary/img/thm13795_file.jpg)
春光堂店主・みやがわ・だいすけ様が、竹中労著「決定版 ルポライター事始め」をお選び下さいました。また、4月8日のイベントのご案内もご紹介下さいました。

4月8日(土) 山梨県立文学館
竹中英太郎没後30年「竹中英太郎・労父子を偲ぶトークのつどい」開催
4月9日(日) 同上 ( ←クリックされてご覧下さい。)

平成28年10月15日(土)桜座(山梨県甲府市)で開催致しました”竹中労没後25年 今ふたたび「戒厳令の夜」特別上映会と労を偲ぶトークのつどい” にサプライズゲストで出演して下さいました時のことをお書きくださいました。

シリーズ沖縄「琉球狐の魂伝える・島唄のいま」として、大工哲弘氏、藤田 正氏、大城美佐子様方が、それぞれの思いを語っておられます。オフノート・神谷一義氏は、労さんの事を「風のアナキスト竹中労と沖縄島唄」と題してお書き下さいました。

平成28年10月15日(土)に桜座(山梨県甲府市)で開催致しました”竹中労没後25年 今ふたたび「戒厳令の夜」特別上映会と労を偲ぶトークのつどい” 、5月31日号で平成30年4月8日(土)に山梨県立文学館で開催致しました”竹中英太郎没後30年「竹中英太郎と竹中労父子を偲ぶトークのつどい”のゲスト出演して下さいました時の事をお書き下さいました。

漫画家・イラストレーターのグレゴリ青山様が、横溝正史氏の「鬼火」にまつわる話題をお書きなられ、その中で、英太郎の挿絵のことについて触れられておりました。グレゴリ青山様のイラストの挿絵です。
![スタイルアサヒ 7月号 img13232_image[1].jpg](https://takenaka-kinenkan.jp/diary/img/thm13801_file.jpg)
水道橋博士様が、労著「ルポライター事始め」を読み、ルポライター になりた かったとお書き下さいました。
故・樹木希林様の記事につきましては、館長日記全文を削除せず掲載いたしました。

お世話になりました大切な方々のご病気の回復祈願の為七面山に行って参ります。登頂は体力的に難しいため宿坊での祈願になると思います。
樹木希林様とは、御山へご一緒させていただくはずでしたが、今、病と一生懸命闘っておられます。御山への修行不参加を決められましたが、その悲しく残念でたまらないお気持ちが痛いほど伝わって、本当におかわいそうに思います。

希心会黒川支部・320名の一人として七面山祈願参拝に参加させていただきました。
今回は、台風21号により、七面山表参道41丁目(頂上は50丁目)で大規模な土砂崩落があり、23丁目までの登詣になりました。
特別な思いがあり頑張って23丁目までと思いましたが、前日から脇腹とお腹の痛みが当日になりましてもおさまらず、登詣はあきらめ宿坊での祈願になりました。
経巻供養・説法会が各坊であり、一生懸命祈願させていただきました。
K.K様のご家族の方々や関係者の皆様も回復祈願をされていらっしゃいました。

永年に渡ってお世話になっておりました、女優・樹木希林様のご逝去の報に接し今は茫然自失になっております。
今日は、気持ちの整理がつきません。ただ希林様には”感謝”の言葉しか今はありません。
8月13日左大腿骨を骨折され、15日に緊急手術を受けられました。
一時危篤状態にありましたが、容体も落ちつかれたとお聞きし致しましたので、少し安心しておりました。ただ、8日〜10日までご一緒させていただきますはずの、身延七面山への登詣に不参加との事をお聞きし、ご容体が気になっておりましたが、、、
9月14日、入院先の病院からご自宅に戻られ、15日午前2時45分にご家族の皆様に見守られ、眠る様に旅立たれたそうです。
明日、荼毘にふされますが内輪でとの事、直接お顔を拝見してお別れのご挨拶をしたかったのですが、30日の告別式まで甲府の空より静かにご冥福をお祈りさせていただこうと思います。

もうお骨になってご自宅にお帰りになられた事と思います。
「ぶどうを口に含んで”美味しいね”と、うれしそうな顔をしていました。」と浅田美代子様のコメントをお聞きし、

もしかしたら私がお送りしました、南アルプス産のお葡萄ではないかと、、、。この葡萄は昨年お送りしました時、”あのぶどうは美味しかったわよ”と珍しくおっしゃって下さいましたので、今年もお送りさせていただきました。
お口


山梨日日新聞に故・樹木希林様の記事の中で労さんの事も触れられておりました。

平成16年4月10日に、湯村の杜 竹中英太郎記念館を開館致しましたが、その際、樹木希林様からお祝いのお葉書をいただきました。
ある時期に記念館に展示させていただこうと思い、あちらこちらをいくら探しましても見つかりませんでした。
不思議なことに、希林様がご逝去されましてから間もなくアルバムの中から見つかりました。本当に懐かしく改めて感謝の気持ちで一杯になりました。
9月30日(日)樹木希林様の葬儀に参列して・・・・・・

祭壇には、楚々とした白菊基調に波のようにうねったいただきに、美しい喪服姿の遺影が皆様を迎えるかのように飾られておりました。
悲しいことにお顔を拝見してのお別れは出来ませんでしたが、遺影に向かい、ご縁をいただきました事の感謝と、沢山の思い出に、心よりお礼を申しあげて参りました。また、落ち着きましたらお宅へお伺いさせていただこうと思います。

facebookのお友達、東京の外山恭一ご夫妻様、記念館のお客様、主宰友人、館長友人がご参加下さいました。素敵なギターの音色、歌声に記念館がつつまれました。
10月15日(月)樹木希林様月命日にお葉書を

希林様が最後に口にされた葡萄は、私がお送りした葡萄であった事がわかり、お顔を思い浮かべながら涙が止まりませんでした。
月命日、希林様を心から偲びたいと思います。

甲府湯村温泉・湯村ホテルの専務・山本重光様のご紹介で、宝島社様が記念館をご取材して下さいました。「移住者リポート01 山梨県甲府市」で、カリフォルニアから、甲府市へ移住されました中村安史・京子ご夫妻様の暮らしぶりがご紹介されております。


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