今日、お陰様で開館10年を迎え・・・・・・
平成16年4月10日、湯村の杜 竹中英太郎記念館をオープン致しました。
【竹中英太郎記念館】のオープンを思い立ったのは「父、英太郎の絵を散逸せずに、後世に伝えていってほしい」という、兄・竹中労から私への最期の遺言でした。
全く素人の私には、無我夢中でのスタートでしたが、残された挿絵の原画・絵画・書物等を目にしているうちに、深く強い父子の心の通い合いがあった事実を知りました。
「大衆画壇の寵児」とまで言われた、父・英太郎が突然絵筆を折り、数年後には幼少期より深く根底にあった<弱者の為に世の中をつくり変えたい>という強い思いが、労働運動に駆り立てていった父親の姿を、兄は憧憬のまなざしで見ていたのかもしれません。
しかし、兄も父と同じく心に燃えたぎるものがあり、<父の絵を色彩で見てみたい>と思い立ち父に懇請。父は次第にマスコミに登場し、著名になる息子の仕事(著作物、レコード、映画製作など)の為にと再び絵筆を取り、今までにない神秘性をもった幻想的な絵が次々に生まれました。
英太郎と労は“此の世を変えて行こう”という革命的な気持ちを根源に持ち、深い絆で結ばれていたのでしょう。「一卵性父子」と云われる所以かもしれません。
私には兄がうらやましくさえ思えます。
兄の父への熱い思いをしっかり心に刻みながら、私なりに出来ること、、、、それは「記念館を守る」事だと自分に言い聞かせてまいりました。
そして無事に今日という日を迎えることが出来ました。
それも、
多くの皆様のお力添え、お支えがあってこそと心から感謝申し上げます。
今年は、開館10年、兄・竹中労の23回忌、母・つね子の7回忌にあたります。また、富士の国やまなし国民文化祭への参加事業として「父子展」を明日から開催致します。
兄への感謝と父の残してくれました多くの作品を、一人でも多くの方々に知っていただきたい、ご覧になっていただきたい、そんな思いを込めまして展示させていただきます。多くの方々のご来館を心よりお待ちいたしております。
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全く素人の私には、無我夢中でのスタートでしたが、残された挿絵の原画・絵画・書物等を目にしているうちに、深く強い父子の心の通い合いがあった事実を知りました。
「大衆画壇の寵児」とまで言われた、父・英太郎が突然絵筆を折り、数年後には幼少期より深く根底にあった<弱者の為に世の中をつくり変えたい>という強い思いが、労働運動に駆り立てていった父親の姿を、兄は憧憬のまなざしで見ていたのかもしれません。
しかし、兄も父と同じく心に燃えたぎるものがあり、<父の絵を色彩で見てみたい>と思い立ち父に懇請。父は次第にマスコミに登場し、著名になる息子の仕事(著作物、レコード、映画製作など)の為にと再び絵筆を取り、今までにない神秘性をもった幻想的な絵が次々に生まれました。
英太郎と労は“此の世を変えて行こう”という革命的な気持ちを根源に持ち、深い絆で結ばれていたのでしょう。「一卵性父子」と云われる所以かもしれません。
私には兄がうらやましくさえ思えます。
兄の父への熱い思いをしっかり心に刻みながら、私なりに出来ること、、、、それは「記念館を守る」事だと自分に言い聞かせてまいりました。
そして無事に今日という日を迎えることが出来ました。
それも、
多くの皆様のお力添え、お支えがあってこそと心から感謝申し上げます。
今年は、開館10年、兄・竹中労の23回忌、母・つね子の7回忌にあたります。また、富士の国やまなし国民文化祭への参加事業として「父子展」を明日から開催致します。
兄への感謝と父の残してくれました多くの作品を、一人でも多くの方々に知っていただきたい、ご覧になっていただきたい、そんな思いを込めまして展示させていただきます。多くの方々のご来館を心よりお待ちいたしております。

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