もう二度と記念館へは・・・・・・
身延町の佐野公一様が昨日の朝お亡くなりになられました。
(昨晩遅く姉からのメールで知りました。姉の友人がたまたま佐野様のご親戚の方でしたので、私によろしくとのメッセージがあったと姉から聞きました。今まで身延のS様と書いておりましたが、実名で書かさせて頂きました。)
佐野様は、湯村の杜 竹中英太郎記念館がオープン以来何度も何度もご来館下さいました。
労さんのフアンでいらっしゃった佐野様は、「苦しかった頃、労さんに出会え命を絶つことなく今まで生きてこられました。命の恩人です。」と、そして「記念館で英太郎画伯の絵を身近で拝見出来、労さんの妹さんと気軽に話が出来てとても幸せで勿体ないです。」といつも口癖のようにおっしゃっておられました。
とても繊細でおやさしい佐野公一様でしたので、時には二人で涙しながらお話した事もありました。
昨年お母様を亡くされ、これからは自由にオートバイで沖縄や九州、全国をまわりたいとの夢を語っておられました。
2月14日のご来館の際、お顔の色が優れずに気になっておりましたが、まさかこの日が最後のご来館になってしまうなどと思ってもおりませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜平成22年3月8日撮影〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜平成22年5月22日撮影〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜平成22年7月8日撮影〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4月20日、手術前日にお目にかかりました時には、5月19日の労さんの命日にはお墓参りができるかもしれませんとおっしゃっておられました佐野公一様、
術後、体調がおもわしくなく、もし少しの時間でもお目にかかる事が出来ましたらと、ご家族の方にお願いをしておきましたが、ご連絡がないままとうとうその後の面会も叶わずお別れになってしまいました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜平成22年9月18日撮影〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お帰り前に必ず「また来ます」そうおっしゃって下さる佐野公一様のお声が今も聞こえてくるような気が致します。
ご家族だけの密葬と伺いました。せめて身延の方に向って手を合わせ静にお送りさせて頂きたいと思います。
どうぞ亡きご両親様、そして大好きな労さんに再びめぐり会えますように。そして労さんといっぱいお話をされて下さい。
佐野様の事は決して忘れません。佐野様も記念館の事を忘れないで下さいね。
そして心から・・・・有難うございました。
佐野様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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(昨晩遅く姉からのメールで知りました。姉の友人がたまたま佐野様のご親戚の方でしたので、私によろしくとのメッセージがあったと姉から聞きました。今まで身延のS様と書いておりましたが、実名で書かさせて頂きました。)
佐野様は、湯村の杜 竹中英太郎記念館がオープン以来何度も何度もご来館下さいました。
労さんのフアンでいらっしゃった佐野様は、「苦しかった頃、労さんに出会え命を絶つことなく今まで生きてこられました。命の恩人です。」と、そして「記念館で英太郎画伯の絵を身近で拝見出来、労さんの妹さんと気軽に話が出来てとても幸せで勿体ないです。」といつも口癖のようにおっしゃっておられました。
とても繊細でおやさしい佐野公一様でしたので、時には二人で涙しながらお話した事もありました。
昨年お母様を亡くされ、これからは自由にオートバイで沖縄や九州、全国をまわりたいとの夢を語っておられました。
2月14日のご来館の際、お顔の色が優れずに気になっておりましたが、まさかこの日が最後のご来館になってしまうなどと思ってもおりませんでした。



4月20日、手術前日にお目にかかりました時には、5月19日の労さんの命日にはお墓参りができるかもしれませんとおっしゃっておられました佐野公一様、
術後、体調がおもわしくなく、もし少しの時間でもお目にかかる事が出来ましたらと、ご家族の方にお願いをしておきましたが、ご連絡がないままとうとうその後の面会も叶わずお別れになってしまいました。

お帰り前に必ず「また来ます」そうおっしゃって下さる佐野公一様のお声が今も聞こえてくるような気が致します。
ご家族だけの密葬と伺いました。せめて身延の方に向って手を合わせ静にお送りさせて頂きたいと思います。
どうぞ亡きご両親様、そして大好きな労さんに再びめぐり会えますように。そして労さんといっぱいお話をされて下さい。
佐野様の事は決して忘れません。佐野様も記念館の事を忘れないで下さいね。
そして心から・・・・有難うございました。
佐野様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
合掌

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