バルト海3国ツアーレポートが・・・・・
ドイツの石原様から、バルト海3国ツアーの旅のレポートが届きました。
ご紹介させて頂きます。
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6月13日より日本からの友人とバルト海3国ツワー旅に出かけました。
フランクフルトからラトビアのリガに飛び、そからエストニア、リトアニアと見学し、再び、ラトビアのリガに戻り,ドイツに帰国しました。
”なぜ、バルト海3国旅行を選んだのか?”と同行者からよく聞かれました。
”学校の授業でこれらの国は死角だったので、是非、以前から視角内に捉えかったからです。
それに、社会主義国だったので薮にらみしていたかも..。”と答えました。"町の様子や建物からは西ヨーロッパと似たようなもので異国的なものをほとんど感じませんでした。
ただ、ロシアのオーソドックス教会が多いのにはロシアの影響を感じさせられました。リガに古いままであるものや改築されたアール ヌーヴォー様式の建物がウイーンよりも沢山あるのには驚きました。もうひとつの異様な驚きは”白夜”でした。慣れるまで奇妙な気持ちでした。
ア−ル ヌーヴォー様式建物
ロシアオーソドックス派教会
古い建物を壊して味気のないモダンなビルを建てている文化意識に乏しい国々はこの国を見習うべきだと思いました。
幸いにも第二次世界大戦でドイツのように町がたいして破壊されなかったので旧市街地の建物は古いままでした。
どこの町にも広い公園があり掃除が行き届いていました。街中もゴミなど見られないほどしっかり管理されていました。
しかし、ソ連社会主義時代の跡もまだ少し残されていました。エストニア出身関取”把瑠都”は自国でも有名だそうです。

朝夕食つきツワー旅行でしたので夕食はホテルでした。残念ながら地元料理に舌鼓を打つことはありませんでした。
しかし、ただ一度昼食を郷土料理レストランで取りました。その際、ボクはパンが器になっている”きのこスープ”を飲みました。
バスはバルト海3国を巡るのにオランダで見られるような平坦な森と牧草地の景色のなかを3000キロ走りました。
これでバルト海3国も視野に捉えることが出来ました。
こちらでは心地よい夏の日々が続いています。
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ご紹介させて頂きます。
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6月13日より日本からの友人とバルト海3国ツワー旅に出かけました。
フランクフルトからラトビアのリガに飛び、そからエストニア、リトアニアと見学し、再び、ラトビアのリガに戻り,ドイツに帰国しました。
”なぜ、バルト海3国旅行を選んだのか?”と同行者からよく聞かれました。
”学校の授業でこれらの国は死角だったので、是非、以前から視角内に捉えかったからです。
それに、社会主義国だったので薮にらみしていたかも..。”と答えました。"町の様子や建物からは西ヨーロッパと似たようなもので異国的なものをほとんど感じませんでした。
ただ、ロシアのオーソドックス教会が多いのにはロシアの影響を感じさせられました。リガに古いままであるものや改築されたアール ヌーヴォー様式の建物がウイーンよりも沢山あるのには驚きました。もうひとつの異様な驚きは”白夜”でした。慣れるまで奇妙な気持ちでした。
古い建物を壊して味気のないモダンなビルを建てている文化意識に乏しい国々はこの国を見習うべきだと思いました。
幸いにも第二次世界大戦でドイツのように町がたいして破壊されなかったので旧市街地の建物は古いままでした。
どこの町にも広い公園があり掃除が行き届いていました。街中もゴミなど見られないほどしっかり管理されていました。
しかし、ソ連社会主義時代の跡もまだ少し残されていました。エストニア出身関取”把瑠都”は自国でも有名だそうです。
朝夕食つきツワー旅行でしたので夕食はホテルでした。残念ながら地元料理に舌鼓を打つことはありませんでした。
しかし、ただ一度昼食を郷土料理レストランで取りました。その際、ボクはパンが器になっている”きのこスープ”を飲みました。
バスはバルト海3国を巡るのにオランダで見られるような平坦な森と牧草地の景色のなかを3000キロ走りました。
これでバルト海3国も視野に捉えることが出来ました。
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