今日は母の命日・・・・・・
✿✿✿自慢の母でした。✿✿✿

平成19年2月27日、午前7時43分、最愛の母が亡くなりもう4年の歳月が流れました。
母には寂しい長い、長い闘病生活の末の最期でした。
自分が年を重ねるごとに母の姿を思い出しながら、やがては私もたどる道を思います。
・・・・・・・・・・・母を忘れない為に勿忘草をお仏壇に・・・・・・・・・
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追記
・・・・・・・・・・・・お写真は、東京の廣本公朗様です。・・・・・・・・・・・・・
北杜市の知人をお訪ねになり、東京にお帰りになられる前にお出で下さいました廣本様は、学生時代から労さんのフアンとおっしゃっておられました。
病床にありながら労さんが最後までジャーナリスト魂をつらぬき、沖縄取材を決行した時の事をよくご存知でした。
没後20年、労さんは時代を越えいつまでも皆様の心の中に生き続けているのかも知れません。

お客様がお帰りになられました後、1991年発行、エスクァイア日本版8「竹中労 南島日記」を改めて読んでみました。
病をおしてまでも労さんの沖縄音楽に対する熱い思い、人びとへの思い、そして仕事に対する情熱、複雑な思いはありますが、素晴らしい労さんであったと思いました。
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平成19年2月27日、午前7時43分、最愛の母が亡くなりもう4年の歳月が流れました。
母には寂しい長い、長い闘病生活の末の最期でした。
自分が年を重ねるごとに母の姿を思い出しながら、やがては私もたどる道を思います。
・・・・・・・・・・・母を忘れない為に勿忘草をお仏壇に・・・・・・・・・追記
・・・・・・・・・・・・お写真は、東京の廣本公朗様です。・・・・・・・・・・・・・北杜市の知人をお訪ねになり、東京にお帰りになられる前にお出で下さいました廣本様は、学生時代から労さんのフアンとおっしゃっておられました。
病床にありながら労さんが最後までジャーナリスト魂をつらぬき、沖縄取材を決行した時の事をよくご存知でした。
没後20年、労さんは時代を越えいつまでも皆様の心の中に生き続けているのかも知れません。
お客様がお帰りになられました後、1991年発行、エスクァイア日本版8「竹中労 南島日記」を改めて読んでみました。
病をおしてまでも労さんの沖縄音楽に対する熱い思い、人びとへの思い、そして仕事に対する情熱、複雑な思いはありますが、素晴らしい労さんであったと思いました。
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