労さん祥月命日・・・・・
今日は、兄「労」さんの没後18年目の祥月命日です。

良い機会ですので「労」さんの命名と出生年について、父・英太郎が「話の特集」・(昭和47年11月1日発売)「労さんについて語る」P82の中にコメントをしております記事を転記致しましますので、お読み頂きたいと思います。
「むかし、武士であった私の一家は、明治維新による失職、転業の安全コースを”銭湯稼業”に求めた。自然そこの番台に座らされる破目となった能なし午前様の祖父は、客の持ってくる入浴料を「汚らわしい」として直接手にうけず、割箸で受け取ったーという。この話、訓戒用として度々セガレの労にも聞かせてきたが、その黄金色の汚物との忌わしい過去がないとは言いきれない私ながら、それは、依然、いまも私の心の支えである。
良い年をして、親のつけてくれた「労」という立派な名(昭和5年につけたのだぞ)を、今更、消そうなどとという了見。−それも仕方ないとして、父子二代の革命への狂疾ーなどとオマエは言うが、体制の象徴「金」を汚らわしいとした祖父からは四代目。満願成就までは七代かかるものと存念して、番台の上、片手で恨み重なる銭を手挟み、片眼は女湯を追うがごとき愚かさ、夢くりかえすなよ。」
※竹中 労 本名は”つとむ”と読みます。
ペンネームで自らが「ろう」と書いたものもあり、ファンの方々からも「ろう」さんと呼ばれておりました。きっと「ろう」さんの方が親しみやすく、呼びやすいのかもしれません。※
父没後21年、兄18年、共にお墓の中で、今の世を憂い、悲しみながら「もう少し長生きすればよかったかな?」などと語り合っているのでは、、、なんて思います。
父と兄の深い絆、素晴らしい親子関係に時には嫉妬さえ覚えます。
でも、心から尊敬できる大好きな父の子供、労さんの妹として、今、本当に幸せな人生を歩いて行ける事に、心から感謝しております。

午前中、友人のK.M様がお墓参りに一緒に行ってくださいました。
写真は、K.M様
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良い機会ですので「労」さんの命名と出生年について、父・英太郎が「話の特集」・(昭和47年11月1日発売)「労さんについて語る」P82の中にコメントをしております記事を転記致しましますので、お読み頂きたいと思います。
「むかし、武士であった私の一家は、明治維新による失職、転業の安全コースを”銭湯稼業”に求めた。自然そこの番台に座らされる破目となった能なし午前様の祖父は、客の持ってくる入浴料を「汚らわしい」として直接手にうけず、割箸で受け取ったーという。この話、訓戒用として度々セガレの労にも聞かせてきたが、その黄金色の汚物との忌わしい過去がないとは言いきれない私ながら、それは、依然、いまも私の心の支えである。
良い年をして、親のつけてくれた「労」という立派な名(昭和5年につけたのだぞ)を、今更、消そうなどとという了見。−それも仕方ないとして、父子二代の革命への狂疾ーなどとオマエは言うが、体制の象徴「金」を汚らわしいとした祖父からは四代目。満願成就までは七代かかるものと存念して、番台の上、片手で恨み重なる銭を手挟み、片眼は女湯を追うがごとき愚かさ、夢くりかえすなよ。」
※竹中 労 本名は”つとむ”と読みます。
ペンネームで自らが「ろう」と書いたものもあり、ファンの方々からも「ろう」さんと呼ばれておりました。きっと「ろう」さんの方が親しみやすく、呼びやすいのかもしれません。※
父没後21年、兄18年、共にお墓の中で、今の世を憂い、悲しみながら「もう少し長生きすればよかったかな?」などと語り合っているのでは、、、なんて思います。
父と兄の深い絆、素晴らしい親子関係に時には嫉妬さえ覚えます。
でも、心から尊敬できる大好きな父の子供、労さんの妹として、今、本当に幸せな人生を歩いて行ける事に、心から感謝しております。

午前中、友人のK.M様がお墓参りに一緒に行ってくださいました。
写真は、K.M様

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