貴重な新聞・・・
父が山梨日日新聞社に勤務(昭和19年〜26年)しておりました頃、記者の仕事のかたわら連載小説の挿絵や、タイトル、カットなどを手がけておりました。その時の新聞を今日、知人のH様からいただきました。
昭和22年1月6日の1枚でした。今までコピーは見ておりましたが、当時の新聞ははじめて手に致しましたので、感慨深いものがございました。提供して下さいましたH様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有難うございました。
昭和22年1月1日〜6日(2日を除く)まで、「迎春うちわ話」のタイトル

昭和22年1月1日〜1月17日まで掲載されました山梨日日本社募集当選作「家庭日記」相馬哲夫作・英太郎画の内の一枚(1月6日)です。
この時の挿絵は、山梨日日新聞社さんにも確認を致しましたが「ありません」とのご回答を頂いておりますが、、、。どこかにあって欲しいとの思いは今でも変りません。
今日は、湯村温泉「柳屋」さんにお泊まりの東京のご夫妻がお出でくださいました。「ここは何でしょうとフラリやってきました」と気さくなご夫妻でした。お帰りは遊歩道を歩いて行かれました。
昭和22年1月6日の1枚でした。今までコピーは見ておりましたが、当時の新聞ははじめて手に致しましたので、感慨深いものがございました。提供して下さいましたH様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有難うございました。



昭和22年1月1日〜1月17日まで掲載されました山梨日日本社募集当選作「家庭日記」相馬哲夫作・英太郎画の内の一枚(1月6日)です。
この時の挿絵は、山梨日日新聞社さんにも確認を致しましたが「ありません」とのご回答を頂いておりますが、、、。どこかにあって欲しいとの思いは今でも変りません。
今日は、湯村温泉「柳屋」さんにお泊まりの東京のご夫妻がお出でくださいました。「ここは何でしょうとフラリやってきました」と気さくなご夫妻でした。お帰りは遊歩道を歩いて行かれました。
コメント
三つ折りの折り目と、端の焼けシミがなんともリアルです。
今度伺った時は、是非ナマを拝見したいと思います。
昭和22年ですよ!!! 信じられません。
H様に感謝です。
記念館の為に資料提供を頂けました事を本当に有難い事と改めて思います。
今度おみせいたしますね。