父・23回目の命日・・・・
今日は、23回目の父の命日です。虚血性心不全、家族が誰一人看取る事の出来なかったあっけない最期でした。
私は、この23年間、父の事を忘れた事は一日としてありませんでした。
大好きな父でした。とてもあたたかでやさしい素敵な父でした。
父との最期の言葉を交わす事は出来ませんでしたが、今も「かーかい?」
:::父は私の事を( かー )と呼んでおりました。私は父の事をおパパと:::
と呼びかける父の声を忘れる事はありません。
::::::::::::父は誰にもさよならを言いませんでしたが、::::::::::::
竹中英太郎の娘として幸せな人生を日々歩いて来れました事に感謝して、父の名に恥じない人生をこれからも歩んで行きたいと思っております。
父と同じように人にやさしく、自分に厳しく、そして父の人となりを多くの方に語り継いで行けたらと思います。
:::::::::::::::::
今朝、開館前につつじが崎霊園へお墓参りに行ってまいりました。
23年間、欠かさず命日にはお参りをして下さっております、輿石和泉・ひで子ご夫妻様とお会いしました。
お写真は(有)輿石電気商会を経営されていらっしゃいます輿石ご夫妻様です
ご自宅のお庭に咲く菜の花や水仙を添えて下さいました。父もきっとこの日を待っていることでしょう。お二人にはいつまでもお元気で父に会いに来て頂きたいと思います。本当に有難うございました。
:::::::::
武田神社までの道も桜と菜の花が咲き、つつじが崎霊園の桜も満開でした。桜は父とのお別れの寂しいお花ですが、寂しさを一瞬忘れさせてくれるような美しさでした。



私が、記念館を健康で守って行けます様にと父にそっとお願い致しました。
最愛の可愛い娘?の頼み、、、、、、、きっと父は叶えてくれると思います。
::::::::::::::::
赤尾信様がわざわざ素敵なお花を持ってお出で下さいました。

ご兄弟が体調が優れなくて、我孫子に行かれておりましたのに、父の命日の為に一時お帰り下さいました。
輿石ご夫妻様と赤尾様は、毎年父の命日には必ずお墓参りをして下さり、感謝の気持でいっぱいです。
今年12月で88歳になられます赤尾様、どうぞいつまでもお元気でいらして頂きたいと思います。 有難うございました。
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私は、この23年間、父の事を忘れた事は一日としてありませんでした。
大好きな父でした。とてもあたたかでやさしい素敵な父でした。
父との最期の言葉を交わす事は出来ませんでしたが、今も「かーかい?」
:::父は私の事を( かー )と呼んでおりました。私は父の事をおパパと:::
と呼びかける父の声を忘れる事はありません。

竹中英太郎の娘として幸せな人生を日々歩いて来れました事に感謝して、父の名に恥じない人生をこれからも歩んで行きたいと思っております。
父と同じように人にやさしく、自分に厳しく、そして父の人となりを多くの方に語り継いで行けたらと思います。
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今朝、開館前につつじが崎霊園へお墓参りに行ってまいりました。
23年間、欠かさず命日にはお参りをして下さっております、輿石和泉・ひで子ご夫妻様とお会いしました。

ご自宅のお庭に咲く菜の花や水仙を添えて下さいました。父もきっとこの日を待っていることでしょう。お二人にはいつまでもお元気で父に会いに来て頂きたいと思います。本当に有難うございました。
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武田神社までの道も桜と菜の花が咲き、つつじが崎霊園の桜も満開でした。桜は父とのお別れの寂しいお花ですが、寂しさを一瞬忘れさせてくれるような美しさでした。

最愛の可愛い娘?の頼み、、、、、、、きっと父は叶えてくれると思います。
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赤尾信様がわざわざ素敵なお花を持ってお出で下さいました。

ご兄弟が体調が優れなくて、我孫子に行かれておりましたのに、父の命日の為に一時お帰り下さいました。
輿石ご夫妻様と赤尾様は、毎年父の命日には必ずお墓参りをして下さり、感謝の気持でいっぱいです。
今年12月で88歳になられます赤尾様、どうぞいつまでもお元気でいらして頂きたいと思います。 有難うございました。

日記 | comments (8) | -
コメント
「かー」私達も館長のことをこのように呼んでおりましたが、ニックネームの名付け親はやはり父上様だったんですね。
毎年欠かさずにお墓参りに訪れて下さる方々がいらっしゃるということは、如何に世の為他人の為に尽くされて来られたか・・・の証だと思います。
今日から又一年、ご両親に感謝の気持ちを忘れない様に頑張って下さいね。
早いものですね。もう23年がたってしまいました。
父の呼ぶかーかい?はとてもやさしい声で本当にはっきり覚えています。
23年間、本当に欠かさずお墓参りをして下さって有難いと思っております。
今日から又一年、ご両親に感謝の気持ちを忘れない様に頑張って下さいね 、、、、、、頑張ります。
スナップと想像します。お父様には、新聞社の支局初年兵の頃、ご自宅でお目にかかったことがあります。
かーの愛称は、紫さんの東京のお友達Y・Yさんからよくお聞きました。何故かなと思いつつ、現在に至りましたが、お父様がつけた愛称だったのですね。ゆかりの真ん中の「か」をのばしたものですか?はずれかもしれませんが。
私事で恐縮ですが、なお、余震が続く東北地方に、被災関係者が多数いて、救援物資の送出を続けています。
テレビで見る光景は、胸が詰まる思いです。
被災者に笑顔が戻る日が早く来るといいですね。
私は4月11日が父の2年目の命日です。桜が重なります。
お墓参りと言うのは、お彼岸に行くものと思っていましたが、いざ自分の父や母となると全く違いました。
母の月命日、父の月命日、一周忌、三周忌、お彼岸、お盆、暮れ、主人があきれています。掃除して、いろいろ報告して、又来るね!・・・・・これからは少し減らします。私も紫さんのように23年も続けられるかな?
いよいよ、100号に取り掛かりました。
恐持てのイメージとは反対のやさしい笑顔の父です。
私の名前・紫(ゆかり)の真ん中の「か」をのばしたもので、板津様のおっしゃる通りです。
コメントを拝見し、お知り合いの方が東北地方に大勢おいでとの事ですが、私にもお手伝いさせていただく事がありますでしょうか?
私たちは今幸せでいられる事に感謝して、その思いを被災者の方々になんとかかたちにしてお伝えしなければと思っております。
先日は、靴を入用とお聞きしましたので陸前高田市でボランティアをされていらっしゃる方の所にお送りさせて頂きました。
やはり必要な物をお送りしたほうが良いかと思います。
おっしゃって下さいね。
おげんきですか?
年月はあっという間にたってしまいますが、やはり親とのお別れは一生忘れる事は出来ないし、悲しみが癒える事はありません。
私は、一ヶ月に一回のお墓参りで何故か心がとても落ち着き、ホッと致します。
中野屋様も大丈夫ですよ。気持は同じだと思います。
3日に絵画教室にまいりました。
折角お人形さんを描いてみたらとおっしゃって下さいましたのに、とても難しくて描けそうにもありませんので別の題材に致しました。
あと6回位で一枚仕上げたいと思います。
100号すごいですね。楽しみにしております。頑張って下さいね。
満開の桜も、心なしか寂しげに感じられます。
被災知人への温かな、お気遣い感謝します。
物資は、今のところ、横浜で調達できます。ありがとうございます。
記念館・ご自宅も、特に被害がなかったようでよかったですね。ご両親に守られているのでしょう。
地震後一か月が経ちますが、まだまだ油断はできません。お気をつけて、ご健康に留意されて、お過ごしください。
これから復旧までにはまだまだ長い時間がかかると思います。
いつでもかまいませんのでご連絡を下さい。
お蔭様で何の被害もなく生活を続けていく事が出来ます。有難い事ですね。
板津様も健康にお気をつけ下さいませ。
また、お目にかかれます日を楽しみにしております。