労さんを偲び沢山の方々が・・・・・・
竹中 労を語る実行委員会主催により昨日、琉球新報ホール(泉崎在)に於いて労没後20年の偲ぶ会が、盛大に開催されました。


会場は満席で熱気に包まれておりました。
残念なことに撮影は禁止でしたので、ご出演下さいました皆さまのお写真は撮ることができませんでした。
オープン前のリハーサルの際、皆さまにはご挨拶をさせていただきました。
**********************
まず、大工哲弘様がオープニングのご挨拶で、「偲ぶ会」と言うよりも「お世話になりましたという思いを込めて、迷惑をかけた順に歌います」とおっしゃって下さいました。少し涙腺がもろくなってしまい必死で涙をこらえておりました。
知久寿焼様は、元たまのメンバーのお一人で、大工様がお声をかけて下さり今回ご参加くださいました。
労さんに聞いてもらいたいと「月がみてたよ」を歌ってくださいました。
饒辺愛子様の歌声と面白いトークで会場内は笑い声に包まれました。
嘉手刈林次様はお父様の嘉手刈林昌様と労さんの事に触れられておられました。
大城美佐子様は、やはり労さんが好きだった「白雲節」をまず初めに歌ってくださいました。
大城美佐子様は、じっくり労さんへ語りかけていらっしゃるように聞こえました。
沖縄のジュリーこと国吉源治様は、兄との琉球フェスティバルでの面白いお話をされていらっしゃいました。
最後に知名定男様が、今の沖縄音楽が認知される足がかりを作ってくれた人ですとおっしゃってくださいました。
八木政男様は、フィナーレの時歌ってくださいました。
最後はカチャーシーを皆さまで踊り、私もステージに呼ばれ踊りました。そして大工哲弘様から会場の皆さまにどうしても紹介したい人がいますと私を紹介して下さいました。緊張致しましたが一言お礼の言葉を述べさせていただきました。
労さん没後20年に大好きだった沖縄でこのような「偲ぶ会」を開催していただきましたことを心からお礼を申し上げたいと思います。
ご出演の皆さま、そしてイベントにご尽力を下さいました皆さまに感謝したいと思います。
私も沖縄を感じ、島唄、三線、そして労さんを愛して下さった皆さまにお目にかかることが出来本当にうれしく忘れる事の出来ない一日となりました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
::::::主宰の友人阿部様、琉球新報社・冨田社長様と::::::
東京から労さんの知人、関根様ご家族と関根様の知人の皆さまです。左端が関根様です。
:::::::元たまのメンバー知久寿焼様と::::::::::
労さんを研究されている大野光明様(お写真右奥の方)とおっしゃるお若い方から、ご自身がお書きになられました雑誌のコピー(「沖縄との連帯」に現れるナショナリズムとその批判)を頂戴いたしました。前に記念館へもご来館くださっておられましたが、思い出せず失礼をしてしまいました。

何年か前にご来館くださいましたお客様がお声をかけて下さりとてもびっくり致しましたが、とてもうれしくまたの再会をお約束させていただきました。
::::会場内で小浜様と石原様:::::::
:::::::抱瓶の皆さまが出店をしてご協力くださいました。お疲れさまでした。
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会場は満席で熱気に包まれておりました。
残念なことに撮影は禁止でしたので、ご出演下さいました皆さまのお写真は撮ることができませんでした。
オープン前のリハーサルの際、皆さまにはご挨拶をさせていただきました。
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まず、大工哲弘様がオープニングのご挨拶で、「偲ぶ会」と言うよりも「お世話になりましたという思いを込めて、迷惑をかけた順に歌います」とおっしゃって下さいました。少し涙腺がもろくなってしまい必死で涙をこらえておりました。
知久寿焼様は、元たまのメンバーのお一人で、大工様がお声をかけて下さり今回ご参加くださいました。
労さんに聞いてもらいたいと「月がみてたよ」を歌ってくださいました。
饒辺愛子様の歌声と面白いトークで会場内は笑い声に包まれました。
嘉手刈林次様はお父様の嘉手刈林昌様と労さんの事に触れられておられました。
大城美佐子様は、やはり労さんが好きだった「白雲節」をまず初めに歌ってくださいました。
大城美佐子様は、じっくり労さんへ語りかけていらっしゃるように聞こえました。
沖縄のジュリーこと国吉源治様は、兄との琉球フェスティバルでの面白いお話をされていらっしゃいました。
最後に知名定男様が、今の沖縄音楽が認知される足がかりを作ってくれた人ですとおっしゃってくださいました。
八木政男様は、フィナーレの時歌ってくださいました。
最後はカチャーシーを皆さまで踊り、私もステージに呼ばれ踊りました。そして大工哲弘様から会場の皆さまにどうしても紹介したい人がいますと私を紹介して下さいました。緊張致しましたが一言お礼の言葉を述べさせていただきました。
労さん没後20年に大好きだった沖縄でこのような「偲ぶ会」を開催していただきましたことを心からお礼を申し上げたいと思います。
ご出演の皆さま、そしてイベントにご尽力を下さいました皆さまに感謝したいと思います。
私も沖縄を感じ、島唄、三線、そして労さんを愛して下さった皆さまにお目にかかることが出来本当にうれしく忘れる事の出来ない一日となりました。
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日記 | comments (6) | -
コメント
たくさんの人が会場を埋めている写真、熱気が伝わってきます!
大工哲弘様のオープニングの挨拶の言葉は、心を開いて通じあった人同士でしか言えない言葉ですね。わたしもじんとしてしまいました。労さんが沖縄と島唄とたくさんの人たちを愛して、また多くの方が労さんを愛していたことが形になった会だと思いました。
館長さんも大変お疲れ様でした。忙しいスケジュールと少ない睡眠時間のなか、ほんとうにすばらしい“沖縄だより”をありがとうございました。
またお会いした時に、いろいろお話しを聞かせて下さい。
多くの人々の出会いはとっても大切だと思います。記念館も又忙しくなりそうですね。
父上様も、労兄上様も心から喜んで下さっておられると思います。
気をつけてお帰り下さいね。
(現地でのブログ、本当にありがとうございました。)
残りの滞在時間も存分に楽しんで来て下さい。
待ってました。
20日は滝本晃司さんと知久さんの
たまの映画の舞台挨拶
とライブがありました。
楽しい思い出になりましたね。
本当は行きたかったですね。
ブログ発信も大変だったと思いますが、沢山の写真を奇麗にアップロードされて、よくぞここまでおやりになりました、ハナマル二重丸です(^o^)
大工哲弘さんのブログでも拝見しました。
http://daikutetsuhiro.ti-da.net/e3361655.html
琉球新報の記事も読みました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177305-storytopic-6.html
島唄、竹中さんに届け 新報ホールで偲ぶ会
部分的に動画でも紹介されています。
明日21日には沖縄を出立なさるご予定かと思いますので、
もし本日20日分の日記を現地でお書きになるなら、簡単にテキストだけになさって、写真はお帰りになってから追加なさればよろしいかと存じます。
余裕をもって沖縄を心ゆくまでお楽しみになりご無事にお帰りください。
連名でのお返事で申し訳ございません。
おかげ様で無事に偲ぶ会も終わりました。
素晴らしい島唄と皆さまの労さんに対するお気持ちをありがたく思いました。
沖縄が近くに感じられるようになりました。
また、帰甲しましたらまとめてご報告をさせていただきたいと思います。
皆さま、おやすみなさい。