中井英夫氏にあてた父の手紙・・・・・
中井英夫氏の最期の助手・本多正一様が、ご自身の著書「プラネタリウムにてー中井英夫にー」や、お手紙等をお送り下さいました。
中井英夫氏は・・・・・・
中井英夫氏著・「地下鉄の与太者たち」のなかに父の事をお書き下さいました。
中井氏から贈呈されました、この本を読み父が大変喜びました事は、2007年(平成19年)河出書房新社より発行されました「中井英夫・虚実の間に生きた作家」に書かれておりました。
父が中井英夫氏に、一枚の色紙を差し上げました事も。
「怨」の字とかまきりの絵が書かれております色紙です。
この色紙が、1986年(昭和61年)三一書房より発行されました「中井英夫作品集」第1巻冒頭に収められました。
父は、この色紙をお使いになられる事への中井氏からのお手紙に、昭和60年8月25日、「よろこんでお受けいたします」と返信しておりました事を、本多正一様がお送り下さいましたお手紙のコピーで知りました。
まさか、父の手紙のコピーをお送り頂ける事など夢にも思っておりませんでした。恥ずかしい事にこのような手紙がある事すら知りませんでした。
懐かしい父の字に身体が震えてしまいました。
父の謙虚な気持ち、労さんに対する父親としての思い、そして絵に対する思いなどが伝わってまいりました。
本多様には、心から「ありがとうございます」と申し上げたいと思います。
同封下さいました、平成4年、父の色紙をバックに撮られました「中井英夫」氏のお写真大切にしまっておきたいと思います。
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中井英夫氏著・「地下鉄の与太者たち」のなかに父の事をお書き下さいました。

父が中井英夫氏に、一枚の色紙を差し上げました事も。
「怨」の字とかまきりの絵が書かれております色紙です。

父は、この色紙をお使いになられる事への中井氏からのお手紙に、昭和60年8月25日、「よろこんでお受けいたします」と返信しておりました事を、本多正一様がお送り下さいましたお手紙のコピーで知りました。
まさか、父の手紙のコピーをお送り頂ける事など夢にも思っておりませんでした。恥ずかしい事にこのような手紙がある事すら知りませんでした。
懐かしい父の字に身体が震えてしまいました。
父の謙虚な気持ち、労さんに対する父親としての思い、そして絵に対する思いなどが伝わってまいりました。
本多様には、心から「ありがとうございます」と申し上げたいと思います。
同封下さいました、平成4年、父の色紙をバックに撮られました「中井英夫」氏のお写真大切にしまっておきたいと思います。

コメント
これも「竹中英太郎記念館」が無ければ全くもって爪の先ほども分らなかった事実・・・
感無量ですね。
色紙に目と魂を奪われてしまい、奥の奥を探してみたい衝動に駆られ、暫くは動くことが出来ませんでした。
きっと、まだまだ発掘されずに眠っているものもたくさんあるでしょうね。
十三回忌の来年までに、WONDERな未公開資料が一点でも多く、館長の元に集まって参りますように・・・。
この色紙の存在は、知っておりましたが、父の手紙には感激しました。
色紙の絵、そして怨の字を父は何を思い描いたのでしょうか?
何一つ理解出来ない自分がはがゆく思います。
Kako様、来年は十三回忌ではなく、二十三回忌になります。
より充実した記念館になりますよう、関係者の皆様にご協力をお願いしたいと思います。
二十三回忌でしたね。え〜〜もう二十三回忌ですか!! 早い!! でも、それだけ我々も歳を重ねて来たということですよね。
今、頂いている幸せにお互いに両親に感謝していきましょうね。
二十三回忌は、盛大に父を偲びたいと思っております。
月日はどんどん流れていってしまいます。
すべてに感謝しながら大事にしましょうね。一日一日を。
おやすみなさい。