竹中労・没後30年に想いを寄せて・・・・・
令和3年5月19日 (水) 竹中 労 祥月命日
元祖ルポライター・竹中労(兄)没後30年の今日、全世界を我が物顔に蔓延しているコロナウイルスの為、静かに祈りと思い出に浸る記念日にさせていただきたいと思っております。
古く良き昭和の時代の表と裏を駆け抜けて、昭和と共に命を削りました。(1991年5月19日21時58分・没)壮絶な人生は兄・労が残した書物からでしか窺い知れませんが、私にとりましては本当に優しい妹思いの兄でした。
今、竹中英太郎記念館を通して大勢の方々との交流を持てますのも兄・竹中労のお陰と、常に感謝しております。
命が燃え尽きようとする病床で「良い妹に巡り会えて幸せだった」と残してくれました言葉は私の魂に刻まれております。幸せな妹だと心から思います。
「一卵性父子」と言われておりました父・竹中英太郎と兄・労でしたが、兄が唯一尊敬していたのは父親・英太郎であり、ずっとその背中を見続け、追い続けてきたのだと思います。今、父と一緒のお墓に眠っております。
コロナ禍が収束を迎えた節には是非記念館にお越しくださり、私と共に偲んでいただけましたら幸いでございます。

古く良き昭和の時代の表と裏を駆け抜けて、昭和と共に命を削りました。(1991年5月19日21時58分・没)壮絶な人生は兄・労が残した書物からでしか窺い知れませんが、私にとりましては本当に優しい妹思いの兄でした。
今、竹中英太郎記念館を通して大勢の方々との交流を持てますのも兄・竹中労のお陰と、常に感謝しております。
命が燃え尽きようとする病床で「良い妹に巡り会えて幸せだった」と残してくれました言葉は私の魂に刻まれております。幸せな妹だと心から思います。

コロナ禍が収束を迎えた節には是非記念館にお越しくださり、私と共に偲んでいただけましたら幸いでございます。
日記 | comments (4) | -
コメント
竹中労様が亡くなられて もう30年になるんですね。 2016年10月15日 竹中労を偲ぶ会がありましたね。
あの時は 樹木希林さんも 生きておられて 大変懐かしく 思ってます。
コロナが蔓延して 大変な時期ですけど、 今こそ 一人一人が自分を見直して行動するべきだと思います。
僕も68歳になりましたが 今まで生きられたことに 感謝しています。
皆さんも 大変な時期ですけど 1日1日頑張っていきましょう。
それでは失礼いたします。
あっという間に30年の歳月が流れてしまいました。
2016年10月15日 竹中労さんを偲ぶ会には、わざわざ福岡からお出で下さいました事、今でも嬉しく、有難く思っております。
あの時パネラーの樹木希林様ももうこの世にはいらっしゃいません。寂しく思います。
コロナもなく、希林様もご存命でおられましたらきっとまたイベントもできた事と、大変残念に思います。
那須様も68歳におなりですか?
どうぞお体にお気をつけて長生きをされてください。
お元気でさえいればまたきっとお目にかかれると信じております。
今にも語りかけ、ジーッと未来を見据えていらっしゃるような・・・素敵なお写真ですね。
館長から、いつも言葉に出ます「労さんと、もっと沢山お話をしておきたかった」と聞くたびに労氏も同じことを思われていたのではと推測いたします。
時代も環境も勿論変わってはおりますが、竹中英太郎画伯、元祖ルポライター・竹中労氏
竹中英太郎記念館 館長・竹中紫様父子は、本当に強い縁(えにし)で結ばれているのだと思いました。
館長に、幸せを残してくださった父上様、兄上様の為にも、優しさと麗しさをいつまでも!!
ではルナちゃんも、一緒におやすみなさい。
本当にあっという間に30年が経ってしまいました。
父や兄のために、これからも健康に気を付けて記念館を少しでも長く守ること、幸せな人生を歩ませてもらえることに感謝して、恥じない生き方をしていかなくてはと思います。
明日は、ご主人様が自宅での最後の月命日ですね。
納骨までの残り少ない日々を悔いのないようお過ごしくださいませ。