父 ・命日・・・・・・
昭和63年4月8日(金)、今から21年前の今日、最愛の父・英太郎は上京中、虚血性心不全となり帰らぬ人となりました。
私は、今でも父のかたみの一つとして大事にしまってあるものがございます。
それは、父が家に戻るために買ってありました「JRの切符」です。
この切符を使って甲府に戻ってきて欲しかった、きっと父も帰りたかったでしょう我が家に二度と元気な姿で戻る事はありませんでした。

その日、私は東京ドームにご招待を受け野球観戦の為お出掛けをしており
父の訃報を知りましたのは深夜でした。茫然自失となり今でもすべてを思い出す事は出来ません。
父の最期をみとることの出来なかったこと、今でも悔やまれてなりません。
会話もしたっかった、手も握ってあげていたかった、ありがとうの言葉も何一つ言えなかった、一番辛い、悲しい父の死、別れでした。


今朝、9時半頃お墓参りに参りましたが、もうお参りして下さいました方がおられました。父の命日には、毎年欠かさずお参りして下さいますご夫妻だと思います。心から感謝いたします。
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私は、今でも父のかたみの一つとして大事にしまってあるものがございます。
それは、父が家に戻るために買ってありました「JRの切符」です。
この切符を使って甲府に戻ってきて欲しかった、きっと父も帰りたかったでしょう我が家に二度と元気な姿で戻る事はありませんでした。

その日、私は東京ドームにご招待を受け野球観戦の為お出掛けをしており
父の訃報を知りましたのは深夜でした。茫然自失となり今でもすべてを思い出す事は出来ません。

父の最期をみとることの出来なかったこと、今でも悔やまれてなりません。
会話もしたっかった、手も握ってあげていたかった、ありがとうの言葉も何一つ言えなかった、一番辛い、悲しい父の死、別れでした。


今朝、9時半頃お墓参りに参りましたが、もうお参りして下さいました方がおられました。父の命日には、毎年欠かさずお参りして下さいますご夫妻だと思います。心から感謝いたします。

コメント
虚血性心不全だったんですね、、、、、
お父様への深い思いはお父様も感じていらっしゃいますよ。いつも天国で見守ってくださっていらっしゃると思います。
私の父は現在89歳。遠くに住んでいますが館長さんのブログを読んでさっそく☎してみます。
健康には人一倍気を使っておりました父でしたが、あっけない最期でした。
家族が誰一人みとること無く、たった一人で旅だってしまいました。
misaki様のご実家はどちらでしょう?
孝行したい時には親はなし・・・・そう思う事のないよう、お父様大切にしてあげて下さいね。
最愛のお父上様でしたものね〜・・・
お父上様告別式の館長の泣きはらし、憔悴しきったお顔、桜の花びらがハラハラと舞い降りていたこと等々が思いおこされます。21年経ちますか!!
帰ることの出来なかった、未使用の掛け替えのない形見の切符ですので、何卒大切に保存なさっておいて下さいませ。
美しい「桜の花」に囲まれて、きっと安らかに眠っておられますよ。記念館と館長を見守りながら・・・。
父が使えなかった切符、私がいつか父に返してあげる日が来るまで、大切に持っていたいと思います。
昨日の命日、お墓も我が家の桜も綺麗でした。
今月、久し振りの再会楽しみにしております。