父祥月命日・・・・・
令和7年4月8日(火)
💐父祥月命日💐
昭和63年4月8日(金)、所用で上京中、路上で虚血性心不全で倒れ、家族が誰一人看取る事が出来ないまま帰らぬ人となってしまいました。
父と最期の言葉を交わす事は出来ませんでしたが、今も「かーかい?」(父は私の事を( かー )と呼んでおりました。)そんな優しく呼びかける父の声を忘れる事はありません。
私は、竹中英太郎の娘としての幸せを感じております。 父への感謝の気持ちを忘れずに、父と同じ様に、人に優しく、自分に厳しく、そして父の名に恥じない日々をこれからも送りたいと思います。
💐父祥月命日💐
昭和63年4月8日(金)、所用で上京中、路上で虚血性心不全で倒れ、家族が誰一人看取る事が出来ないまま帰らぬ人となってしまいました。
父と最期の言葉を交わす事は出来ませんでしたが、今も「かーかい?」(父は私の事を( かー )と呼んでおりました。)そんな優しく呼びかける父の声を忘れる事はありません。
私は、竹中英太郎の娘としての幸せを感じております。 父への感謝の気持ちを忘れずに、父と同じ様に、人に優しく、自分に厳しく、そして父の名に恥じない日々をこれからも送りたいと思います。

日記 | comments (1) | -
コメント
悲しみに耐えたカーの細い身体が一層細く、支えてあげないと倒れてしまいそう。 此れ以上書くとエンドレスになりそうですので、お許し頂いて又何かの機会にお話しさせて頂ければ亡父様も、思い出してくれてありがとうと仰って下さると思います。
館長、否 カー、本当に頑張って来られましたね。素晴らしい❣️無理せずに、お身体を大切にして竹中英太郎記念館の全てを、未来に繋げてまいりましよう。 親友 kako