28年目の4月8日・・・・・
昭和63年4月8日(金)、今から28年前の今日、最愛の父・英太郎は上京中、虚血性心不全で倒れ、家族が誰一人看取る事がないまま帰らぬ人となりました。
父との最期の言葉を交わす事は出来ませんでしたが、今も「かーかい?」(父は私の事を( かー )と呼んでおりました。)そんな優しく呼びかける父の声を決して忘れる事はありません。
私は、竹中英太郎の娘として、本当に幸せな人生を歩いて参りました。
父の名に恥じない人生を、そして父と同じように人にやさしく、自分に厳しく、そんな父の人となりを画業と共に多くの方に語り継いで行けたらと思っております。
それが私に出来る父に対する心からの感謝の気持ちではないかと思います。
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開館前につつじが埼霊園に行って参りました。
必ず命日にはお墓参りをして下さいます、赤尾信ご夫妻様も来てくださいました。92歳・81歳のご夫妻様です。
輿石和泉ご夫妻様には、一足違いでお目にかかれませんでしたがお墓を綺麗にして下さりお花をお供えして下さってありました。
心から感謝いたします。
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今日の山梨日日新聞・きょうの歴史欄に父の事が掲載されておりました。
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父との最期の言葉を交わす事は出来ませんでしたが、今も「かーかい?」(父は私の事を( かー )と呼んでおりました。)そんな優しく呼びかける父の声を決して忘れる事はありません。
私は、竹中英太郎の娘として、本当に幸せな人生を歩いて参りました。
父の名に恥じない人生を、そして父と同じように人にやさしく、自分に厳しく、そんな父の人となりを画業と共に多くの方に語り継いで行けたらと思っております。
それが私に出来る父に対する心からの感謝の気持ちではないかと思います。
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開館前につつじが埼霊園に行って参りました。


心から感謝いたします。

今日の山梨日日新聞・きょうの歴史欄に父の事が掲載されておりました。


日記 | comments (4) | -
コメント
「大木の桜」のように、人生を見事に咲かせ潔く散る花びらの如く惜しまれて逝かれました「英太郎画伯」。
館長は、一番親孝行な娘だとおもいますよ。
父上様(英太郎画伯)も労氏も、生前から分かっておられて総てを託されたのでしょうね!!
「父の名に恥じない人生を、そして・・・・・・ それが私に出来る父に対する心からの感謝の気持ちではないかと思います。」
ご立派です。素晴らしい人生の指針です。
お身体だけはご自愛くださいませね。
此れからお夕飯の支度(-_-;)
では、又明日。 GOOD LUCK
今日新聞で記事を見ました。
いつも感心するのは28年前に亡くなられたのについ先日のような気持でいられることですよ!
見習わなければ・・と思っています。
私はいつも父の写真を見ながら「頑張っているかな?私・・・・と聞いています」
父の出棺の時、父が寂しくないようにと慌ててお写真を入れた事、A.A様が桜の一枝を棺に入れてくださいました事だけは覚えておりますが、それ以外の事は悲しすぎて今も思い出すことが出来ません。
28年、早いですね。でももうそんなに経ってしまいました事が実感できません。
感謝の日々、また生まれ変わっても父と母の子供でいたいと思います。
これからも健康に気をつけて一日でも長く記念館を守って参ります。
お力添えをお願いいたしますね。
それではまた、お先におやすみなさいませ。
お元気でお過ごしですか?
ご無沙汰をしており申し訳ありません。
いつもお心にかけていただきありがとうございます。
毎年山梨日日新聞のきょうの歴史欄に父、5月19日(労さん命日)に掲載して下さいます。
素晴らしい父子だと誇りに思います。
28年、一日も忘れたことはありません。
それが一番の供養だと思っております。
「頑張っているかな?私・・・・と聞いています」素晴らしいですね。
きっと見守っていて下さると思います。
またお時間がとれましたらぜひ父の絵に会いにいらっしゃってくださいませ。
お元気でお過ごし下さい。