第44回・日本推理作家協会賞受賞の・・・・・
9月30日(←クリックされてご覧下さい。)に6年振りにご来館下さいました、福島県のY.H様が本の雑誌社発行の「本の雑誌増刊・おすすめ文庫王国2008年度版」をお送り下さいました。

この中で、日本推理作家協会・新保博久様がお書きになりました「このミステリーを文庫で出してみろ!ベスト7」で「百怪、我ガ腸二入ル・竹中英太郎作品譜」を取り上げてくださっておりました。
結局、双葉文庫で日推理作家協会賞受賞作全集も刊行されましたが、残念ながら収録はされておりません。

竹中労が最愛の亡き父・竹中英太郎の作品をまとめ、1991年(平成3年)に日本推理作家協会賞・評論その他の部門賞を頂きました貴重な画集です。
この時、兄はすでに病院のベットで病と闘っておりました。兄の代理でこの賞を頂きに参りました。
第44回 日本推理作家協会賞贈呈式が、平成3年4月23日(火)、飯田橋・ホテルエドモンド悠久の間において開催されました。兄に代わって挨拶を致しました。

生島理事長様より、正賞と副賞を頂戴致しました。
賞とは無縁の兄でしたが、この作品の受賞を大変喜んでおりました。
父、兄、そして私を深い絆で結んでくれました思い出の画集となっております。
完売後の今でも、入手希望の方が大勢いらっしゃるほどの根強い人気の画集です。
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この中で、日本推理作家協会・新保博久様がお書きになりました「このミステリーを文庫で出してみろ!ベスト7」で「百怪、我ガ腸二入ル・竹中英太郎作品譜」を取り上げてくださっておりました。
結局、双葉文庫で日推理作家協会賞受賞作全集も刊行されましたが、残念ながら収録はされておりません。

竹中労が最愛の亡き父・竹中英太郎の作品をまとめ、1991年(平成3年)に日本推理作家協会賞・評論その他の部門賞を頂きました貴重な画集です。
この時、兄はすでに病院のベットで病と闘っておりました。兄の代理でこの賞を頂きに参りました。


生島理事長様より、正賞と副賞を頂戴致しました。
賞とは無縁の兄でしたが、この作品の受賞を大変喜んでおりました。
父、兄、そして私を深い絆で結んでくれました思い出の画集となっております。
完売後の今でも、入手希望の方が大勢いらっしゃるほどの根強い人気の画集です。

日記 | comments (4) | -
コメント
若き館長様のお姿、今少し大きなお写真で拝見したく思います。
おなかに100のお化けを持つような、美空ひばりのような芸人は本当にいなくなりましたね。
貧乏くさい一発芸のような芸人が出ているテレビはほとんど見なくなりました。
こちら新城市も少しずつ寒くなりました。
本当にお若かったですね!(今でも若いですけど―う〜ん、無理やり)
この時期はもう労氏は、既に病床におられたのですね。
代理で受賞を手にされた時から、「竹中英太郎記念館」への運命が決められていたのかもしれませんね。
当時の館長の「緊張」が伝わってくるようですよ。素晴らしい写真を拝見させていただきました。有難うございます。
今夜も冷え込みます。おやすみなさい。
すっかり朝晩は冷え込みが日毎に増して参りました。
お体は大丈夫ですか?
私の若き頃のお写真ですか?
あまり大きくないほうが、何となく・・・・ですね。
でも、これからも父や、兄、母との思い出のお写真をアップしてみようかと思っております。
お楽しみに。
お風邪などひかれません様にお気をつけ下さいませ。
昨晩は、少し風邪気味でしたので、8時過ぎにはぐっすり寝ておりました。
今朝は7時に起床、朝からバタバタしてしまいました。
この授賞式は、もう21年前になります。(若くて当然ですね。(^_-)-☆)
4月23日授賞式、5月19日には労さんはもう亡くなってしまいました。
kako様のおっしゃる通りかもしれません。
湯村の杜 竹中英太郎記念館は、労さんが自分の変わりに父の画業を後世に伝えて欲しいとの思いから生まれたような気がします。
守りますね。絶対!
来週、お目にかかれます事を楽しみにしております。